雑司が谷の路地裏で考える、地域猫との「ちょうどいい」関係
- 7月10日
- 読了時間: 3分
新緑が目に鮮やかな季節になりました。
ここ雑司が谷は、鬼子母神堂や広大な霊園があり、古い小道が入り組んだ緑豊かな街。車もあまり入り込んでこないためか、昔から猫たちがのんびりと暮らしている姿をよく見かけます。
今日は、そんな私たちの身近にいる「地域猫」について、日頃感じていることを綴ってみたいと思います。
庭に訪れる、耳カットの小さなお客さま
我が家は道路から少し奥まった場所にあり、木々に囲まれています。そのせいか、猫たちにとっても安心できる場所になっているようで、時折、耳をさくらの花びらのようにカットされた「地域猫」たちが遊びにやってきます。
彼らがお腹を空かせないよう、喉が渇かないよう、そっとお水やご飯を置いて見守るのが私の日常です。穏やかにこの場所で過ごしている彼らを見ていると、「外で生きる」という選択肢についても考えさせられます。
「保護」することだけが正解なのだろうか
最近の保護活動の中には、どんな状況であっても「野良猫はすべて捕獲して保護すべきだ」という、非常に強い熱意を感じることがあります。
もちろん、痩せ細っていたり怪我をしていたり、過酷な環境にいる子には迷わず手を差し伸べるべきです。けれど、その地域で安定して暮らせているのであれば、避妊・去勢手術をして、元の場所で見守る「TNR(捕獲・手術・リターン)」という形が、猫にとっても負担が少ないのではないでしょうか。
躍起になって捕獲することだけが正解ではなく、その地域の環境や、猫がそこでどう生きてきたかの「文脈」を汲み取ること。それも、私たち人間に求められる優しさだと思うのです。
譲渡のハードルと、地域猫の役割
現在、多くの保護団体では譲渡の条件が非常に厳しく設定されています。「一人暮らし不可」や「多頭飼い不可」といったルールにより、猫を迎えたい人と、家を必要としている猫との間で、需要と供給のバランスが崩れている側面も否定できません。
そうした現実を考えても、地域全体で見守る「地域猫」という存在は、今の社会において大切な役割を担っていると感じます。
家族として迎えたあとの、譲れない約束
一方で、一度「家の子」として迎えたのであれば、そこには絶対的な責任が伴います。
完全室内飼いの徹底: 外には危険がいっぱいです。
「お散歩」はさせないで: 最近、ハーネスをつけて猫をお散歩させている方を見かけますが、猫にとって外歩きは大きなストレスになります。「災害時に備えて慣れさせる」という意見もありますが、パニックを起こした時のリスクは計り知れません。「うちの子は大丈夫」と思わず、どうか一生室内で、安全に過ごさせてあげてほしいと願っています。
皆様はどう考えますか?
雑司が谷という、猫と人が古くから共生してきた街に住んでいるからこそ、私は地域猫という在り方に肯定的なのかもしれません。
猫たちが安心してまどろめる場所があること。 そして、家に入った猫たちは、生涯安全な場所で守られること。
この両方のバランスをどう取っていくのが一番幸せなのか。正解は一つではないかもしれませんが、皆様は地域猫や猫との暮らしについて、どのようにお考えでしょうか?























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