SNSに溢れる「真っ白な嘘」と、物語を演じる人々
- 6月12日
- 読了時間: 4分
SNSを見ていると、ふとした瞬間に「なんだか胡散臭いな」と感じる動画や投稿に出会うことが増えた気がします。一度そう感じてしまうと、画面の向こう側の言葉がすべてフィルター越しのように見えて、素直に受け取れなくなってしまう。
今日は、そんなSNS空間に漂う「違和感」の正体について、少し掘り下げて書いてみたいと思います。
「真っ白」すぎて見えない影
まず感じるのは、「私は白です!」と全身で潔白さをアピールしているような人への違和感です。
もちろん、本当に裏表のない誠実な方もいらっしゃるでしょう。でも、人間というのは本来、もっと多面的で、割り切れないグレーな部分を抱えて生きているものです。それなのに、一点の曇りもない「まっさらな白」を全面に出されると、かえってその裏にあるはずの「影」を隠そうとしているのではないか、と勘繰ってしまいます。
光が強ければ強いほど、影も濃くなるのが自然の摂理。影が全く見えない表現というのは、どこか不自然で、作り物めいた「嘘くささ」を放ってしまうのかもしれません。
演出された「スポコン」という罠
もうひとつ、最近のSNSでよく見かけるのが「物語(フィクション)」をなぞったような生き様の発信です。
私たちは、漫画やドラマで描かれる「スポコン」のような、苦難を乗り越えて成功を掴むストーリーに感動し、影響を受けやすい性質を持っています。それは素晴らしいことですが、問題は、その「共感を得やすいパッケージ」を自分に当てはめて、意図的に物語を作り上げてしまう人がいること。
誰かに認められたい、共感されたいという欲求から、自分自身の人生を「演じて」しまう。そうなると、言葉の一つひとつが自分の内側から出たものではなく、どこかの台本から借りてきたような響きになってしまいます。
「売るため」に計算された誠実さ
そして、こうした演出の背景には、多くの場合「ビジネスとしての計算」が透けて見えます。
「信頼を得るため」「ファンを増やすため」「商品を売るため」。その目的のために、逆算してキャラクターを作り上げる。本来、ビジネスにおけるブランディングは大切ですが、それが「誠実さの捏造」になってしまうと、それはもうマーケティングではなく単なる欺瞞です。
利益や数字のために、自分の本心すらも道具にして物語を編み立てる。その「打算的な熱量」こそが、見る側に「何かおかしい」と思わせる最大の要因なのではないでしょうか。
証明できない真実と、抱えるモヤモヤ
私が一番モヤモヤするのは、そうした人たちの「本心」や「真実」を、外側にいる私たちは決して証明できないという点です。
「それは嘘ですよね」と指を指すことはできない。なぜなら、人の心の中は本人にしかわからない聖域だからです。証拠がない以上、疑わしいだけで人を責めることはできません。いわゆる「疑わしきは罰せず」の状態です。
この「わかっているのに、証明できない」というもどかしさが、SNSを眺める時の小さなトゲとなって胸に刺さります。
いつか、嘘が日に当てられる時
それでも、私は信じたいと思っています。 どれほど巧みに作り上げられた嘘であっても、いつか必ず日にさらされる時が来るのだと。
言葉だけで塗り固めた「白」は、本物の光に当たればその薄っぺらさが露呈します。ビジネスのために演じ続けることには限界があり、どこかで必ず綻びが出るものです。
「罰せられない」からといって、何をしてもいいわけではありません。誠実に、自分の言葉で歩んでいる人は、たとえ不器用でも重みのある輝きを放ちます。一方で、利益のために嘘を重ねて人を欺く行為は、いつか自分自身を追い詰めることになるでしょう。
天網恢恢疎にして漏らさず(てんもうかいかい そにしてもらさず)。
天の張る網は広く、目は粗いように見えても、悪人を漏らすことはない。 いつかその嘘が日の下に晒され、相応の結果を招く日が来る。そうであってほしいと願うのは、きっと私たちが「本当のこと」を大切にしたいと切望しているからなのだと思います。
皆様はどう思いますか?
























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